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読書メモ

きょうは1990年代に日本にフーコーの「統治性gouvernementalité  」研究を紹介した論文 *1 をチェックした.『性の歴史Ⅰ  知への意志』(1976)以降,『快楽の活用』『自己への配慮』(1984)までの8年間は,一切の著作を発表しない沈黙の時期として知られている.この8年間のあいだに,『知への意志』のなかで示された関心がさらに展開され,西洋近代権力を〈統治 gouvernement〉の観点からトータルにとらえかえす研究が構想されていた(米谷 1996: 77).  けっきょくフーコーによってこれを主題とした単行本は執筆されなかったのであるが,コレージュ・ド・フランスでおこなわれた講義*2のなかで,研究の成果にかんする議論が展開されている.当時利用可能だった コレージュ・ド・フランス講義の研究資料としては,講義要旨と録音テープが存在し,前者は出版され,後者はパリのフーコーセンターで聞くことができたそうだ.もちろんそれは当時の話であって,いまは講義録の全てが刊行され,翻訳されている.こう考えると隔世の念であるが,我々の先輩たちはそういう環境で研究をしていたと思いをはせる.外国語を習得することも,今よりも切実な問題であったに違いない. *1 米谷園江,1996,「ミシェル・フーコーの統治性研究」『思想』(870):77-105. *2 1977-78『安全・領土・人口』,1978-79『生政治の誕生』